面会交流が途切れてしまう父母の特徴

●誰かの所為にする。
何かしら物事がうまくいかなくなると、それは自分の所為ではなくて、誰かの所為だというふうにすり替える。
子どもとの面会交流がうまくいかないのは、元配偶者の所為、あるいは面会交流支援団体の所為。
再婚者との関係性が、うまくいかなくなって来たのは、子どもが面会交流をしている所為。

■自分は正しい。相手が間違っている。
元配偶者を尊重する気持ちが欠落している。
元配偶者をやり込めたい気持ちが強い。

■元配偶者には、どうせ出来るわけがないと決めつけている。
育児が出来るわけがない。
養育費を払えるわけがない。
子どもを可愛いと思っているわけがない。

このような面会交流が途切れてしまう父母は、とても自尊感情に乏しく自己肯定感も低い傾向にあると言えます。

「自尊感情」とは、自分が出来ること/出来ないこと/長所/短所など全ての要素を包括した意味での「自分」を他者とのかかわり合いを通してかけがえのない存在、価値ある存在としてとらえる気持ちです。

「自己肯定感」とは、自分に対する評価を行う際に、自分のよさを肯定的に認める感情です。




『子どもの事をそんなに想い悩むなら、そもそも離婚をしなければいいんだ』

そんな風な助言を受けたことはありませんか?

ですが、大抵の方は離婚をするために結婚はされないのではないでしょうか。

生涯を共にしたいと思って結婚しあった男女が別れることになる。

その背景は実に様々であり、こんがらがってしまった縁の糸は自分たちでは解くことが出来なくなっています。

ですので、本来であれば誰かにSOSを出して助けを求めたいところです。

ところが離婚に直面したばかりの父母は互いに相手が間違っていると思って、互いに自分の正論をぶつけ合い、どんどんと自尊感情や自己肯定感が低くなっていきます。そうすると相手がどうして自分の正論を理解しようとしないんだ? 自分がおかしいのか? いや、そんなはずはない! 自分は間違っていない! 相手が悪いんだ!というように自己評価が氷点下の位置となり自分の非を認めることが出来なくなります。

ですので、結果として自主的・自発的に面会交流支援団体の支援を受けることを躊躇ったり、意固地になってしまったり、支援を受けても自らを律することが出来ずに支援自体が困難となります。

まずは、自信を持つことを常に促すことが重要になります。それは、がんばれと追い立てるのではなく、がんばっていると認めることです。実のところ、自分に自信がないことを知っているのは他でもない本人たちなのです。

そこを理解して面会交流の支援をしていかなければ、父母を苦しい状態に追い込むことにもなりかねません。とても繊細な支援が必要となります。

面会交流支援者は、そのことを肝に銘じておかなければならないことだと思います。


宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の最後は「みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい」と締め括られています。

面会交流支援をする者は、利用者の皆さんたちから見て「デクノボー」であります。

父母のどちらの味方も致しません。

同居親の味方だ。別居親の味方だ。そう思われることが多々ありますが、私たちはデクノボーです。

ただただ、お子さんのグリーフケアに努めるのみ。

いのちに合掌